『戦後労働史からみた賃金~海外日本企業が生き抜く賃金とは~

日本型雇用を賃金制度や人材育成の観点から整理された本です。とりわけ、海外企業のホワイトカラーに対する誤解や、日本のブルーカラーの特徴について、詳しく言及がなされています。そして今後の日本企業への提言として、現在の日本の賃金制度に、海外のホワイトカラーで適用されている上限付きの範囲給を導入することを推奨しています。

1.海外のホワイトカラーに対する誤解

「海外、特に欧米を中心とした企業では職務給が一般的で、仕事に対して賃金が一律に決まっている」とよく言われています。しかし筆者はこれは大きな誤解であると指摘します。

確かに、海外のブルーカラーは一般的に認識されている職務給が一般的です。1~2割の賃金上昇はあるものの、数年で上限に達して後は一律支給という、正に同一労働同一賃金と言えます。

一方で、海外のホワイトカラーは、仕事に対して賃金が一律で決まることは決してありません。一般的には範囲給と呼ばれる、30~50%近く賃金上昇がある制度の中で、給与が決まっています
 これはある意味当然のことで、ホワイトカラーについてはジョブディスクリプションも曖昧であれば、マニュアル化もできているわけではありません。非定常業務が中心で、人により業務の速度だけでなく成果が大きく変わってくるのです。そのため、例えば同じ人事部長と言えども、新任の部長と、ベテランの部長ではできる仕事の幅や成果が変わり、それに対して賃金も変わってくるという仕組みが導入されています。

そうすると、一般的な誤解とは異なり、海外のホワイトカラーは日本の企業の賃金制度と大きな違いがあるとは言えなくなってきます。では、日本の賃金制度の特徴はどこにあるのでしょうか。

2.日本のブルーカラーのホワイトカラー化

日本の賃金制度の特徴は、ブルーカラーにもホワイトカラーの賃金制度を持ち込んだこと、にあります。筆者はこれを、ブルーカラーのホワイトカラー化、と呼んでいます。

「ブルーカラーのホワイトカラー化仮説」とはなにか。世の仕事には大別くりかえし作業が多いものと、標準化がむつかしく担当者が工夫してこなす作業にわかれる。多くの国、西欧や米では、前者はおもにブルーカラーが担当し、後者はいまなら大卒のホワイトカラーが多く担当する。これにたいし、戦後日本の特徴は、後者の面倒な作業も、その全部ではないが一部を、ブルーカラーが担当する。ブルーカラーの全員ではないけれど、技能上位半分層が担当する。後者の仕事を担当するには、当然ながらより高い技能を必要とする。しかもその形成に、自学自習も要する。なぜなら自分の工夫を要するからである。それを含めて技能形成を促す賃金が欠かせない。そうすると、賃金やサラリーは西欧のホワイトカラーにやや似てくる。仕事の分担の仕方もふくめて、それを「ブルーカラーのホワイトカラー化仮説」とよんだ。

筆者は鉄鋼業の現場からこのような傾向を見出していますが、この点は先日下記記事でも取り上げた通り、自動車工場でも同様で、かなり信ぴょう性が高まります。

その上で筆者は、海外で日本企業が活躍するためには、この日本的な人事制度を導入することが不可欠であると指摘します。しかし、そのためには海外の現地採用のブルーカラーの意識を変えることが不可欠です。海外進出した多くの企業ではその点に苦労しているように感じます。
 また、当該企業だけが意識を変えたとしても、それは安易な人材流出につながってしまいます。その点は何らかの工夫が必要だと考えます。

3.所感と問題提起

本書で、大きく欠落している日本型雇用の特徴として、広範な人事異動、があると考えます。確かに日本のホワイトカラーと海外のホワイトカラーは同じような処遇かもしれません。しかし、日本のホワイトカラーには、例えば営業部門から製造部門へ、というように、部門をまたいだ大きな異動があります。おそらくこの点は海外のホワイトカラーとは大きく違う点でしょう。
 むしろこの広範な人事異動が、古くから見られていた日本的な考え方に基づくものなのか(例えば江戸時代の奉公人制度に基づくとか)、あるいは日本だけが取り残されているだけなのか(海外は徒弟制度から近代的な労働契約制度に移行したが、日本はこれがまだまだ途上)、その点は今後深めていきたいと思います。

また、日本企業の強みが、ブルーカラーのホワイトカラー化により生じた、力強い現場にあるということは、間違いないと考えています。
 ただ、これを年功的な処遇で査定付きの昇給で報いている点には、やや疑問が残ります。確かに1年間経験を積んだことに対して、定期昇給の最低額を決めておくことには一定の合理性はありましょう。一方で労働者側がその認識を持っているかどうかは、疑問です。むしろ会社はその点をしっかりと説明する必要があり、制度としてもその趣旨をはっきりとさせる必要があると考えます。

なお、同一等級内での職能給の上昇について、上限を設けるべきだと筆者は指摘します。これについては賛成です。というのも、ある一定のレベルまでは知識や経験を積むことで、効率的な作業やトラブル対応ができるようになり、会社の経営に貢献しましょう。しかしながら、あるレベルを超えると、会社への貢献という意味ではあまり効果があるとは言えなくなります。そのような知識や経験の上昇に対して報いる必要は必ずしもなく、どこかで上限を設けることは不合理とは言えないでしょう。
 加えて、日々の定常業務を満足にこなせない、つまり顕在化されている能力が、求められる水準に達していない、という状況については、例えば降格等の対応は不可欠であると考えます。これは、時代の変化で取り残されてしまった上位職(例えばPCを使えない上位職など)を想定していますが、むしろ取り残されることが無いように、会社としてはキャッチアップの場を設けるべきですし、労働者自身も自己研鑽に励むべきであると考えます。

コメントを残す