『援助者必携 はじめての精神科』

高尾先生からのお勧めで読んでみました。

精神科のベテランの先生が書かれた本で、この本自体も2004年に出版されてから、現在は第3版を数えるほどの、ベストセラーです。非常に参考になる内容が多くて、お勧めです。

1.前提として、人事担当者の疾患理解は必要ない

普段は(そしてこの本を読んだ後でも)、人事担当者が疾患を理解することは求めていませんし、むしろ必要ないと考えています。なぜなら、この本にも書かれている通り、

精神科の特徴のひとつに、「症状における疾患特異性が低い」という事実があります。「うつ状態イコールうつ病」だったら素人でも診断がつきますが、統合失調症の可能性もあるし、神経症やパーソナリティ障害や依存症や認知症や、いろんな可能性がある。

というように、非常に難しい分野です。専門的な援助者でさえ悩むのですから、正直なところ、素人がいくら勉強したところで、太刀打ちできるはずがありません。
 むしろ、職場ではそのような知識がない中での対応が前提なのですから、その前提に基づいて対応方法を考え、制度を構築すべきだと考えます。

2.パターン、均一的な対応、マンネリの安心感

我々がお勧めしている「標準化されたメンタル不調者対応」は、標準化=マニュアル化した対応という部分を、よく批判されます。相手に寄り添って、ケースバイケースで対応すべきではないかと。
 ですが、そもそも職場では制度に則ってある程度画一的な対応をせざるを得ないものです。少なくとも「疾病」に関して、職場でケースバイケースの対応が必要な状態は、通常の状態から逸脱していると考えます。

これについて、本書では、「個別性重視モード」と「パターン重視モード」という区別で、次のように説明されています。

病名とは、医療におけるひとつのパターンを示しています。精神科領域に限って申せば、精神の逸脱の仕方の典型像そのものと言い直してもよいかもしれない。そして病名が援助行為を実行するためのガイドとなりうるためには、わたしたちのあいだにひとつの暗黙の了解があることをここで指摘しておきましょう。
 その暗黙の了解とは何か。精神の逸脱の仕方(もっとあからさまに言えば、気の狂い方)は一定数、しかもそんなにたくさんはない、という認識です。
(中略)
病名なんてレッテル貼りであり差別そのものだなんて息巻く人がいますが、立腹するほうがおかしい。レッテルなのはまさにその通り。ただしレッテルを見て差別という行動に走るか、それとも援助のガイドとして活用するか、その違いが重要なわけです

治療場面でさえ7つのパターンで捉えて、治療や援助のガイドとなる。加えて職場では病名に依った対応はそもそも難しい。だから画一的かつ標準的な対応を行うというのは、パターン重視モードの職場バージョンと考えても、決して冷たすぎる対応とは言えないでしょう。

また、均一的な対応について、ある種のメリットもあると本書では指摘しています。例えば、

「誰に変更しても同じです。だから現行で納得していただくか援助そのものを拒否するか、2つに1つです」―といった二者択一(断固たる態度で示す二者択一です)に持ち込む。それが対応策となる。
 ここで重要なのは、誰がやっても同じである、劣った人や優れた人はいない、と援助者サイドの能力の均一性を証明することです。
(中略)
 質問を受けそうな機関や施設、人間が連携して足並みをそろえ(つまり誤解を恐れずに言えば、口裏を合わせる)、回答に均一性をもたらすのが肝要となります。援助者サイドは、面倒を避ける手段のひとつとして均一性というものが大切と思ってください。

というように、均一的な対応も時として一つの解となることを示しています。あるいは、

マンネリであるというのは、言い換えれば展開に予想がつくということです。ああ、次はこんなことを尋ねてくるんだろうなあと自然に分かる。それは安心感につながるのですね。予想通りにするすると事態が運ぶのは、ことに心が弱っているときには、安心感や気持ちよさに近い感覚を呼び寄せます。意外性を楽しめるのには、精神状態がある程度の強靭さと余裕が必要なのです

というように、毎回決まりきった対応をすること、同じ説明をすることも、ひとつの戦略になるとしています。

職場では色々なパターンごとに対応を変えることは難しいですし、間違えたときの責任を取れません。個々の事例においてはベストとは言えないが、あらゆるパターンでそこそこ問題ない対応として、標準的な対応が有効であると言えるでしょう。

3.困っている人は誰なのか

我々のところに寄せられる相談では、一番困っていないといけないはずの本人が、全然困っていない、という状況が多く見られます。本人の状態に対して、周囲が色々と手を差し伸べるために、本人よりも周囲が困っているという状況です。

このケースで、実際のところ、困っている人は誰なんでしょうか
 この問いは予想以上に重要な意味を持つことがめずらしくありません。

治療や支援場面だと、困っている人をまずは救うというアプローチが有用なのかもしれませんね。職場においては、本人が適切に困る、言うならば本人に預けられた下駄を返す姿勢が、時として重要になると考えます。

そして、本人が困っていない場面においては、

困っていない当人に「あなたが困っていないのはオカシイですよ」「あなたは助けを求めるべき状況にありますよ」と気づかせるためにはどうすればいいか考える。
(中略)
 援助者は、ルーチンな対応の一環として、とにかく「あなたは勘違いしていますよと真摯に伝えるべきでしょう

と指摘しています。この場面においては、非患者の状態から、患者の状態に移行する、というニュアンスが含まれていると思いますが、職場においては、病院での患者としての状態から、会社における労働者としての状態に移行する、という姿勢が重要です。

具体的な対応の一環として、本書では、

可能性を担保しつつ差し当たって待機の姿勢に持ち込むという方法論でして、わたしはそれを「オープンエンド」と呼んでいます。

という方法を紹介しています。言うべきことは言っておき、後は本人が決意するときを待つ、という手法ですが、職場の対応でもこれくらい潔い対応が必要ですね。
 要するに、「このままだとこうなる(例えば懲戒処分)。一方でこういう選択肢がある(例えば私傷病休職制度)。こちらとしてはどちらでも構わないけどね」というような姿勢で、本人がちゃんと考えるようにするということです。もし本人に考えるだけの余力がないということであれば、家族の出番でしょう。間違っても人事担当者が代わりに考えるというような状態にしてはいけません。

なお、このような対応をすることで、対応する人に心の余裕が生まれ、(具体的な理屈は分からないとのことですが)事態が好転することがある、と紹介しています。

いくら援助者が熱血先生的な思いを持っていたとしても、それがうまく伝わる可能性は低い。「思いは伝わる」というのを前提に援助者活動を試みても、ドラマみたいにうまくいく可能性はそれほど高くないということになりましょう。
(中略)
保健師さんの気持ちに余裕が生まれていた。腹がすわり、頼もしさに通ずる雰囲気さえ発散させるに至っていた。そうしたものが娘に、目に見えない形で作用したところもあるのではないでしょうか。

まさに最近よく紹介している、面接シナリオによる対応は、対応者の心の余裕が生まれるメリットがあります。これが労働者に伝わることで、事態が好転するということもありましょう。

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